みなとまち新潟 今昔探訪
古町花街逍遥

古町花街へようこそ。
海と川のみなとまちとして賑わい、多くの人が交流してきた新潟市には江戸時代から続く花街文化があります。粋でありつつ、一見さんも暖かくお迎えする。みなとまち新潟だからこその花街の世界、ちょっとのぞいてみませんか。
古町花街のはじまり
古町花街の起源は、江戸時代中期に現在の古町通三番町の西側辺りに存在した遊女屋群「中道」と伝わります。宝暦年間(1751~1764)以降は現・古町通五・六番町に遊女屋の分布が拡大し、その発展とともに元の中道界隈の遊女屋は廃れてしまいました。
その後、江戸末期までに遊女の営業範囲は古町通の三番町から九番町界隈にかけて拡大しましたが、1843年に新潟が幕府の天領となり川村修就が初代奉行として着任すると、翌年には風紀改善のため遊女の営業が取締りの対象となりました。
幕末には古町通五・六ノ町(現在の古町通八・九番町)古町通二ノ町、毘沙門島(現北・南毘沙門町辺り)の3地区の界隈に遊女の営業地区は集約・制限されていきました。この頃の花街では「芸を売る」芸妓と「色を売る」娼妓とに職業が明確に分かれておらず、芸妓も娼妓も同じ場所で居住・営業していました。明治3(1870)年の地図「越後新潟全図」に、現古町通八・九番町の一に「妓楼多シ」と記載があります。
このことから、既に現在の古町花街の場所に芸娼妓入り混じる花街があったことがわかります。

「北国一覧写し」より江戸時代後期の古町の遊女と料亭

人気が高かった古町芸後の絵葉書
芸妓の花街/芸娼妓分離と古町花街の成立
明治5年には新潟県の布達により、幕末と概ね同じ範囲である古町通地域・毘沙門地域・熊谷小路地域(現横七番町通り辺り)の三地区が貸座敷の営業許可地域、すなわち遊女の営業許可地域に定められました。〈図1(a)。
さらに明治初期には「遊女」という職業が「芸妓」と「娼妓」に分けられ、職業的な分業がすすめられました。明治中期以降には市街地での大規模火災が頻発しましたが、新潟県は火災で貸座敷等の建物が消失する機を狙い本格的な遊楼統合を推し進めます。
明治21年には貸座敷の営業許可区域が一部改定されますが〈図1(b)〉、後に古町通四番町周辺で火災が起こると古町通五~七番町の貸座敷の営業許可区域が一部除外され〈図1(c)〉、明治23年には火災に見舞われた毘沙門島地域も同様に許可区域から除外されました〈図1(d)〉。
そして明治26年の古町通8・9番町を中心とする一画が大火で焼失すると、古町通地域では火災から残存したものに限り5年間の営業が許可され、新築は不許可となりました。〈図1(e)〉。
一方、熊谷小路地域の許可区域では、元は新遊郭建設による西側への拡大とともに熊谷小路の南側は除外され、堀や塀こそないものの、明確に線引きされた遊楼が形成されました〈図1(f)〉。明治31年には古町通地域が許可から除外され、全ての貸座敷と娼妓の熊谷小路以北の許可地域への移転が完了しました。
このように、大火などを契機に打ち出される行政の施策により、徐々に芸妓と娼妓の営業地は分離され、娼妓の営業が遊郭に限定された一方、古町地区の新道を中心として、古町通8番町、9番町界隈に現在の【芸妓の花街】が形成されました。


往時を伝える街並み/全国随一の「伝統的料亭街」
古町花街には、今でも芸妓を呼ぶことのできる伝統的な料亭が11軒ほど営業しています。この内9軒ほどの料亭が古町通8・9番町界隈の一角で営業しています。現在、古町花街のように料亭が一角に集積して営業している料亭街は全国に例がありません。さらに、この界隈は第二次世界大戦前に建築された歴史的、元々料理屋や待合、置屋として建築された歴史的建造物がよく残っています。玄関回りの外装や内装を修理しているお店も多いため、一目では伝統的な和風建築であると気づきにくいですが、全体の実に三分の一の建築が昭和初期以前に建築された歴史的建造物とされています。古町花街は、歴史的町並みが残る伝統的料亭街としては全国随一言える地区なのです。
特に古町通りの東西に平行して伸びる石畳舗装の「新道」を歩くと、ひと昔前の街に時空を超えて足を踏み入れたかのように、表の通りとは異なる風情を感じられることでしょう。
街並みの見どころ
花街の歴史的景観と言えば、多くの方は京都の祇園や金沢の東茶屋街などを想起されることでしょう。これらの地区はお茶屋中心の花街であり、軒が揃い統一感のある景観は、まさに粋をのむ美しさです。一方、料亭は茶屋に比べ、その敷地規模、建物の形態やデザイン、付設する庭園の規模などは店舗ごとに大きく異なる傾向が見られます。そのため、料亭中心の花街である古町花街は、京都や金沢と異なり歴史的風情の中に多様性を楽しめる景観と言えそうです。
花街の建築物には、上品さと格式を重んじる花街を象徴するかのように、上質な材と繊細な造作からなる数寄屋風の意匠が随所に見られます。こうした特徴は主に座敷などの内部空間に顕れていますが、玄関回り等の外観にも凝った意匠がもれだしています。例えば、東新道沿いに建つ明治末期建築の元料亭「旧有明」は、玄関屋根やそれを支える垂木の角に銅板がふんだんに使用され、路地面の二階張出しの下部には曲面状の意匠的な板が張られています。古町花街を歩く際は、ぜひとも花街の風情を全身で感じながら、花街建築の繊細な魅力も発見してください。


花街の風情漂う街並みが残る「西新道」。近年舗装が石畳になった。
200畳敷きの大広間を有する全国第一級の料亭「鍋茶屋」
花街のメインストリート「新道」
明治中期から後期にかけて、市街地外縁への遊郭の整備と時を同じくして、火災を契機に東西の「新道」が花街のメインストリートとして整備されました。現在の古町花街の空間は、この時期の開発によって形成されたと考えられます。
東西の新道は、古町通りと西堀通りの間の「西新道」、古町通りと東堀通りの間の「東新道」があり、江戸末期から明治後期にかけて整備された街路です。鍋茶屋が立地する八番町側の東新道は特に古く、江戸末期の地図や資料には既にその存在が確認されています。
その他の新道は明治26年の大火後。建物の消失を契機に古町花街界隈を歓楽街としてより高度利用できるよう、敷地と敷地の背割線(後背の境界線)に沿って私道として整備されました。背割線に沿って整備されたため、市道となった今でも街路は真直ぐでなく、幅員も狭いところでは2mほど、広いところでは4mほどと場所によって不規則に変化しています。こうした新道ならではの形成経緯からなる街路の特徴も、古町花街の魅力の一つと言えるでしょう。

古町花街のメインストリート「東新道」、旧料亭「有明」の灯りが夜の街をテラス


ヘヤナカサ(ダシアイ)の路地
複数の家が敷地を分担して共同で利用する通路(路地)を指す新潟市の古い言葉です。これは、隣家同士が敷地の境界線を半分ずつ出し合って路地を作る、という形態から来ています。
十人十色の空間「路地」
他にも、旧新潟町内で古町花街中核部に特に多く見られる「路地」も、花街の風情を感じられるスポットの一つです。現在も30本ほどの路地が通りと新道を繋いでおり、その形態あ幅員は実に多様です。
江戸初期の新潟町町建て当初から存在する「六軒小路」は、幅員も3mほどと路地としては最も広く、現在は新道同様に一部が石畳化され、周囲の歴史的建造物と相まって特に花街の風情が感じられる場所になっています。一方で、幅員が1mほどしかない路地やビル内を貫通する路地も多数あります。
また、古町花街界隈の路地は、道の中心に敷地境界線がある特殊な所有形態であり、地元では「ヘヤナカサ」「出し合いのコウジ」と呼ばれてきたと伝わります。ヘヤナカサの路地では、両側から建物が覆いかぶさるように立ちながら、頭上には一筋の空が拓けているという独特な景観が体感できます。多様な路地空間の街歩きをぜひお楽しみください。

江戸時代からの歴史を重ねる路地「六軒小路」
古町花街でお座敷を楽しむには
初めてでもお気軽に

古町花街には「一見さんお断り」はなく、初めての方でもお座敷を楽しんでいただけます。リーズナブルにお座敷を体験できるイベントもありますので、最初はそちらを利用していただくのもお勧めです。
お座敷のご予約方法
「新潟三業協同組合」加盟店料亭に直接お申し込みください。
➊料亭を選び、直接予約の電話をかけます。➋お座敷の希望日時を伝えます。➌飲食内容の希望や予算を伝え、相談します。
例/会席料理(一次会)、おつまみ程度(二次会)、飲み放題かどうか、など
➍芸妓さんを呼びたい場合は「指名したい」「振袖さん、留袖さんがいい」「お姐さんと若手、一人ずつがいい」「踊りが見たい」「予算はいくらぐらい」などの希望を伝えてください。曖昧でも大丈夫です。お気軽にご相談ください。これで予約は完了です。
➎当日、予約時間に間に合うように料亭にお入りください。基本的にお会計は宴会後に店内で行います。加盟店の一覧や連絡先は、新潟三業協同組合の公式ウェブページをご覧ください。
お座敷の費用の目安
芸妓を呼ぶ場合、飲食代のほかに「お花代(席料)」が必要になります。お花代は芸妓一人につき、おおむね一時間で一万五千円位からです(ご予算に応じて調整可能)。詳細や最新の情報は、下記の新潟三業協同組合公式ウェブページでご確認ください。
知っておくとスマートな「お座敷の基本的マナー」
◆歴史ある料亭の建物を保護するため、裸足は避けて靴下などを着用しましょう。靴は清潔なものを心がけ、靴べらを勧められたら遠慮せずに使いましょう。
◆和室には「敷居を踏まない」「畳のヘリを踏まない」「座布団を踏まない」などの作法や、鞄をテーブルや床の間に置かない、リュックサックは担がずに手で持って移動するといった心得があります。これらも建物を保護するための配慮です。ぜひ心がけてください。
◆部屋の中では出入り口から遠いところほど上座というのが原則です。床の間のある部屋では、床の間の前が上座です。
◆会席料理の場合は、料理は一つづつ出されますので、順に召し上がってください。食事の際は箸置きを使いましょう。グラスや瓶を置く時はコースターや下敷き用の器を使い、畳や食卓の上に直接置くのは避けます。空いた瓶や徳利を横に倒すのもタブーです。
◆芸妓の踊りや演奏が始まったら、ひととき食事の手を休めて、どうぞゆったりと鑑賞をお楽しみください。
◆不安なことやわからないことがあったら、お店の人に気兼ねなくおたずねください。
二〇二三年一月発行
執筆・写真提供:久保有朋 (古町花街の会事務局長)
協力:新潟三業協同組合
発行者:みなとまち新潟ハイブリッド観光をすすめる会
